告白したのは、午後三時十七分だった。
俺はその時刻を、今でもはっきりと覚えている。スマホの画面を確認した時、電池残量が17%だったことも。屋上の給水タンクに鳥が一羽止まっていたことも。日差しが妙に生ぬるくて、春とも夏ともつかない空気が肌にまとわりついていたことも。
全部、覚えている。
でも一つだけ、俺が覚えていないことがある。
彼女の返事だ。
白石咲良と出会ったのは、高校二年の四月だった。
同じクラスになって、席が隣で、それだけのことだった。最初の印象は、正直「変な子」だった。授業中にシャーペンを指でくるくる回しながら、窓の外をずっと眺めている。先生に当てられると、すごく的確な答えを返すのに、それが終わるとまた窓の外に戻っていく。
俺は彼女がどこを見ているのか、気になった。
「何見てんの?」
ある日、思い切って聞いてみた。
咲良は俺の方を向いて、少し驚いた顔をしてから言った。
「空の動き方。今日は雲が東から西に流れてるでしょ。逆なんだよね、いつもと」
俺は空を見た。確かに雲が動いていた。でも逆かどうかなんて、気にしたことがなかった。
「そんなの気づくの?」
「気づかない人の方が多いよね」
彼女は少し寂しそうに笑った。その笑い方が、なぜか胸に刺さった。
それから俺たちは、少しずつ話すようになった。
咲良は変わっていた。図書室で詩集を読んでいたと思ったら、次の日は数学の問題集を解いている。好きな食べ物はコンビニのおでんで、嫌いな言葉は「普通」だと言った。
「普通って言葉、便利すぎてこわい」と、ある昼休みに咲良は言った。「普通こうするよね、普通こう思うよね。その『普通』って誰が決めたんだろうって、いつも思う」
「じゃあ咲良は普通じゃないのを目指してるの?」
「目指してるんじゃなくて、なれないんだよね」
また、あの寂しそうな笑顔。
俺はその笑顔が好きで、そして見るたびに、何か大切なものをやり損ねているような気持ちになった。
気づいた時には、恋をしていた。気づいた時には、もう半年が経っていた。
告白しようと決めたのは、十月に入ってすぐのことだった。
理由は単純で、咲良が転校するという話を聞いたからだ。クラスの噂だったから、本当かどうかわからなかった。でも俺は「言わないまま終わる」ことの方が怖かった。
放課後、屋上に来てほしいとメッセージを送った。
咲良はすぐに「うん」と返信してきた。
俺は屋上で待ちながら、何度もセリフを練習した。「好きだよ」「ずっと好きだった」「付き合ってほしい」。どれも声に出すと恥ずかしくて、頭の中で転がしているうちに咲良が来た。
「呼んだ?」
「うん。えっと」
俺は深呼吸をして、言った。
「好きだよ。ずっと」
咲良は目を丸くした。それから、何かを言おうとした。口が少し動いた。でも言葉は聞こえなかった。風が急に強く吹いて、給水タンクの鳥が飛び立って、俺は思わず目を細めた。
目を開けた時、咲良はもういなかった。
屋上には俺一人だった。
あれ、と思った。トイレかな、と思った。でもドアの向こうに人の気配はなかった。
おかしい、と感じたのはそこからだ。
俺は咲良に電話をかけた。呼び出し音は鳴った。でも繋がらなかった。メッセージを送った。既読がつかなかった。
翌日、学校に行くと、咲良の席が空いていた。
先生に聞くと、先生は困った顔をした。
「白石さん?」
「はい、白石咲良です。昨日も会ったんですけど」
先生は俺をしばらく見てから、静かに言った。
「河本くん。白石さんは転校したよ。夏休み前に」
夏休み前。
七月だ。
今は十月だった。
クラスメイトに片っ端から聞いた。
みんな同じことを言った。白石咲良は夏休み前にいなくなった。転校の挨拶もなくて、ある日突然来なくなった。そういう記憶だ、と。
でも俺は、昨日の屋上のことを覚えている。
咲良の声も。咲良の顔も。咲良が俺の告白を聞いて目を丸くした瞬間も。
全部、覚えている。
俺は家に帰って、スマホのトーク履歴を遡った。咲良とのやりとりを探した。
あった。
「屋上来てほしいんだけど」という俺のメッセージ。
「うん」という咲良の返信。
タイムスタンプは、昨日の日付になっていた。
でも送信先を確認して、俺は固まった。
そのアカウントには、プロフィール写真がなかった。名前だけがあった。「白石咲良」という名前だけが。
そのトークルームに、それ以前のやりとりは一件も存在しなかった。
まるで、昨日だけに存在したアカウントみたいに。
おかしいのは俺の記憶なのか。
それとも、おかしいのは俺の周りの全員なのか。
俺は咲良と確かに話した。半年間、毎日のように。雲の動きの話をして、「普通」という言葉が嫌いだという話を聞いて、コンビニのおでんを一緒に食べた。
その記憶は、どこにある?
俺の脳みその中だけに?
ある夜、俺は咲良のことを検索した。名前と学校名を入れて、何が出てくるか確かめようとした。
一件だけヒットした。
地方紙の小さな記事だった。
日付は、去年の春。
事故の記事だった。
名前に、見覚えがあった。
俺はスマホを置いて、天井を見た。
心臓が変な音を立てていた。
咲良が死んだのが去年の春なら、俺が彼女と出会った四月より前ということになる。
それなのに、俺は彼女と話した。
半年間。
毎日のように。
「好きだよ」と言った日に、彼女は死んでいた。
じゃあ俺は、昨日の屋上で、誰に告白したんだ?

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