本記事にはアフィリエイト広告が含まれています

「君を助けた回数を、君は知らない」


 死ぬのは、今日で十七回目だ。

 目が覚めると、いつも同じ天井がある。木目の染みが、ちょうど人の顔に見える。左目のあたりにひびが走っていて、それが毎朝確認できることだけが、俺がまだ正気だという証拠になっている。

 六時十四分。

 スマートフォンの画面を確認する前から、時刻はわかっている。十七回も同じ朝を迎えれば、身体が覚える。カーテンの隙間から差し込む光の角度。遠くで鳴く烏の数。隣室から漂ってくる、母親が淹れるコーヒーの匂い。

 全部、同じだ。

 俺は布団を蹴って起き上がる。鏡の前に立つと、高校二年生の自分が映っている。十七回繰り返しても、俺の顔は十七日分しか歳をとっていない。それだけは、ありがたいと思う。

 歳をとれないことを、ありがたいと思う自分が、少し怖い。


 最初にループに気づいたのは、三回目の朝だった。

 一回目と二回目は、ただ悪夢だと思った。それほど、出来事は鮮明だった。

 同じクラスの藤枝さくらが、放課後の踏切で死ぬ。

 遮断機が下りる。警報が鳴る。その音に、彼女は反応しない。イヤホンをしていたから、とあとで誰かが言っていた。ホームルームで担任が泣いていた。葬式には行けなかった。

 一回目は、俺は何もしなかった。

 二回目は、声をかけることができなかった。

 三回目に、俺はようやく踏切まで走った。

 「危ない」

 それだけ叫んで、彼女の腕を引いた。遮断機をくぐろうとした彼女の身体が、俺の方へ倒れ込んできた。列車は轟音と共に通り過ぎた。

 藤枝さくらは助かった。

 その夜、俺は何か温かいものを感じながら眠りについた。

 翌朝、木目の染みが、また人の顔をしていた。


 四回目から十回目は、試行錯誤だった。

 声のかけ方を変えた。踏切の前で待ち伏せた。別の友人を使って引き止めた。一度は学校に通報して、彼女を職員室に呼び出した。

 何をしても、翌朝には戻っていた。

 十一回目に、俺は初めて彼女に話しかけた。普通の会話を。踏切とは関係なく。

「藤枝、帰り同じ方向だよな」

 彼女は少し驚いたように俺を見て、それから小さく頷いた。

「そうだっけ?」

「まあ、だいたい」

 嘘だった。俺の家は逆方向だ。でも十一回分の観察で、彼女の通学路は頭に入っていた。

 その日、彼女は踏切を使わなかった。遠回りになるバス停まで、俺と一緒に歩いたから。

 でも、翌朝は戻っていた。


 十四回目に、俺は気づいた。

 いや、気づきたくなかった、が正確かもしれない。

 藤枝さくらを助けても、ループは終わらない。

 彼女を助けることが、ループの「解除条件」ではない。

 では、何が条件なのか。

 十五回目、俺は彼女を助けなかった。見ていた。踏切の手前で立ち止まって、彼女が渡るのを眺めていた。列車が来た。警報が鳴った。彼女はイヤホンを外さなかった。

 俺は動かなかった。

 轟音の後、静寂があった。

 その夜は、眠れなかった。

 翌朝、木目の染みが、また人の顔をしていた。


 十六回目、俺は初めて、自分のことを調べた。

 なぜ俺なのか。

 この六月十一日という日に、俺に何があるのか。

 ループが始まった日の記憶を洗い直した。

 藤枝さくらの事故を知った翌日。学校から帰る途中。俺は確かに、あの踏切の前に立っていた。

 彼女と同じように。

 イヤホンをして。

 遮断機が下りる音を、聞こえないふりをして。

 列車が来た瞬間のことを、一回目の俺はどこまで覚えているのか。

 わからない。

 わからないが。

 俺は今日で十七回目、目を覚ます。六時十四分。コーヒーの匂い。烏の声。

 今日も、俺は生きている。


 午後三時五十二分。

 俺は踏切の手前で、藤枝さくらを待っている。

 今日は話しかけるつもりはない。助けるつもりも、まだ決めていない。

 ただ、ひとつだけ確かめたいことがある。

 彼女がやってくる。いつも通りのリュック、いつも通りのイヤホン、いつも通りの無表情。

 でも今日、俺は初めて気づく。

 彼女のイヤホンのコード。

 片側だけ、外れている。

 警報の音は、聞こえているはずだ。

 遮断機が下りる。列車が近づく音が、大地を伝って足元から来る。

 藤枝さくらは、立ち止まる。

 踏切の前で。遮断機の前で。

 動かない。

 俺は息を飲む。

 彼女は、ゆっくりと振り返る。

 まるで、俺がいることを最初から知っていたように。

 そして。

「……また来たの」

 静かな声だった。

 疑問形だったが、問いかけではなかった。

 列車が通り過ぎる。

 彼女の黒髪が、風に揺れる。

 俺の脚は、動かない。

「何回目?」

 彼女はもう一度、聞く。

 今度は、確かに俺に向けて。


 風が止む。

 世界が、少しだけ静かになる。

 俺は十七回分の朝を抱えたまま、彼女を見ている。

 藤枝さくらは、助けを待っていたのではないかもしれない。

 では、何を待っていたのか。

 それを俺が理解できる日が、果たして来るのだろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました