母が倒れたという電話を受けたのは、週の真ん中の、どうでもいい会議の最中だった。
「脳梗塞の疑いがあります。今すぐ来られますか」
看護師の声は落ち着いていて、だからこそかえって怖かった。私はスマートフォンを握りしめたまま、しばらく動けなかった。会議室のホワイトボードに、誰かが書いた「第三四半期売上目標」という文字が、妙にはっきりと目に入った。
三十七年間、その数字を目指したことなんて、一度もなかった。
新幹線の中で、私は母のことを考えようとして、うまくできなかった。代わりに頭に浮かんだのは、実家の台所の匂いだった。だしの素と、焦げた醤油と、なんとも言えない古い油の匂い。子供の頃から嫌いだったその匂いが、鼻の奥に蘇って、私は窓の外の景色に目をやった。
母の料理が嫌いだった。
正確に言えば、嫌いなのは料理じゃなかった。でも当時の私にはその区別がつかなかった。
実家に着いたのは夜の八時過ぎで、病院には父がいた。
七十二歳になった父は、廊下の椅子に座って背中を丸めていた。私の顔を見ると、立ち上がろうとして、膝に手をついて、それでもゆっくり立ち上がった。その動作に、時間の重さみたいなものを感じた。
「よく来た」
それだけ言って、父はまた座った。私も隣に座った。
「意識はあるのか」
「あった。お前が来るって言ったら、髪整えろって怒られた」
私は少し笑いそうになって、やめた。
集中治療室のドア越しに、母の声は聞こえなかった。当然だ。でも私は、そのドアをずっと見ていた。ガラスの小窓の向こうに、白い布団と、機械と、点滴の管が見えた。母の顔は角度的に見えなくて、それが逆に、妙な安堵感を与えた。
見なくていい、まだ。
その思いが、自分の中に生まれたことに、私は気づいていた。
母は料理が得意だった。
いや、違う。母は料理をすることが、自分の役割だと信じていた。だから毎日作った。体調が悪くても、父と喧嘩した翌朝も、私が「いらない」と言った日も。
問題は、おいしくなかったことだ。
おいしくない、というのも正確じゃない。食べられないわけじゃなかった。栄養はあったと思う。でも、なにかが足りなかった。味付けが薄すぎたり、火を通しすぎて野菜がくたくたになっていたり、微妙にちぐはぐな食材の組み合わせだったり。
私が中学生の頃、友達の家で初めてプロっぽい家庭料理を食べた。その子のお母さんが作った筑前煮は、具材がそれぞれ形を保ちながら、汁がきちんと染みていた。食べた瞬間に「あ、これが料理か」と思った。
その夜、実家の夕飯は煮崩れた大根と、パサパサの鶏肉だった。
私は黙って食べた。「おいしい?」と聞いてくる母に、「うん」と答えた。その「うん」が嘘だと、母は知っていたのだろうか。知っていたから聞いてきたのか、知らなかったから聞いてきたのか、今もわからない。
高校生になってから、私はほとんど夕飯を家で食べなくなった。部活の帰りにコンビニで済ませる、友達と外で食べる、塾があるから遅くなる。理由はいくらでも作れた。母は何も言わなかった。ただ、翌朝になると台所にラップをかけた皿があった。前の夜の残りだった。
私はそれを、食べたことがない。
父が缶コーヒーを二本買ってきて、一本を私に差し出した。
「お前、飯食ったか」
「新幹線で少し」
「そうか」
父は缶コーヒーを飲んだ。私も飲んだ。ぬるかった。
「あれ、重かったのかな」と父が言った。
「何が」
「脳梗塞。前から兆候があったらしいが、お前の母さん、病院嫌いだから」
私は知らなかった。
正確に言えば、知ろうとしなかった。母から「最近頭痛がする」という話を電話で聞いたのは、二ヶ月前だったか三ヶ月前だったか。「病院行ったら」と言って、それで終わりにした。そのあと確認しなかった。電話の回数は年に数回で、用がなければかけない。母もかけてこなかった。
それが普通だと思っていた。
「お前が来るって知って、今日の昼、お前の好きなもの考えてたんだぞ」と父が言った。「退院したらこれ作るって、看護師さんに話してたって」
「何を作るって」
「知らん。俺も聞かなかった」
父は立ち上がって、ドアの小窓を覗いた。私も立ち上がって、隣に並んで覗いた。
母の顔が、今度は見えた。
目を閉じていて、顔色は悪くて、でも確かにそこにいた。七十歳の母の顔は、私の記憶の中の母より、ずいぶん小さかった。
一時間後、面会が許可された。
五分間だけ、と言われた。
私は母のベッドの横に立った。父は廊下で待っていた。なぜそうなったのかよく覚えていない。気づいたら一人だった。
母は目を開けた。
「来たの」
声は思ったより普通だった。少し掠れていたが、母の声だった。
「来た」
「仕事、大丈夫?」
「大丈夫」
嘘だった。明日の朝一番に会議がある。でも今はどうでもよかった。
母は点滴の管が刺さっている腕を少し動かして、また止めた。何かしようとして、やめたようだった。
「痩せたね」と母が言った。
「そうかな」
「ちゃんと食べてる?」
私は答えた。「食べてる」
母は少し目を細めた。笑ったのかもしれない。
「退院したら」と母が言いかけて、止まった。
「退院したら?」
「なんでもない」
なんでもなくないのは、わかった。でも私は続きを聞かなかった。母も続けなかった。五分間のうちの、どのくらいかが、沈黙で埋まった。
悪い沈黙じゃなかった。
それが少し、怖かった。
病院を出たのは夜の十一時過ぎで、父と二人でタクシーに乗った。
実家に泊まることになっていた。何年ぶりかわからなかった。
タクシーの中で父は眠った。七十二歳の父が、座ったまま眠っている横顔を、私はしばらく見ていた。
実家に着いて、父を起こして、鍵を開けてもらって、中に入った。
台所に、ラップをかけた皿があった。
今日の昼に作ったのだろう。冷蔵庫に入れずに置いてあった。母が倒れたのは夕方だったから、そのままになっていたのだ。
皿の上には、筑前煮があった。
私はしばらくそれを見ていた。ラップの内側に水滴がついていた。具材は少し煮崩れていた。大根が溶けかけていた。
父は洗面所に行った。
私は椅子に座った。
ラップを外した。匂いがした。だしの素と醤油の、あの匂い。
一口、食べた。
やっぱり、どこかちぐはぐだった。火が通りすぎていた。鶏肉が少し、パサついていた。
でも食べた。
全部食べた。
なぜそうしたのか、自分でもうまく説明できない。感動したわけじゃなかった。許した、という気分でもなかった。ただ、食べた。それだけだった。
皿を洗いながら、私は退院したら、という母の言葉の続きを考えた。
退院したら、何を作るつもりだったのだろう。
私の好きなもの、と父は言っていた。母は、私の好きな料理を知っているのだろうか。
知らないかもしれない。
でも知っているかもしれない。
私が答えを出す前に、台所の電気を消した。廊下が暗かった。子供の頃と、同じ暗さだった。

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