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君が消えた朝に、僕はまだ目を覚ます

目が覚めるたびに、僕は同じ朝に戻っている。

 カーテンの隙間から差し込む光の角度。遠くから聞こえるゴミ収集車のエンジン音。台所から漂う、母親が作るトーストの焦げた匂い。全部、同じだ。

 時刻は午前七時十四分。

 スマートフォンを手に取ると、画面には十一月十九日と表示されている。また、この日だ。

 僕——新田悠(にったゆう)、二十三歳——は三ヶ月前からこの日を繰り返している。正確には、この日から始まる二十四時間を。何度繰り返したかは、もうわからない。最初のうちは正の字を壁に書いていたけれど、三十を超えたあたりで書くのをやめた。

 起き上がって、鏡を見る。

 顔色が悪い。いや、悪く「見えている」だけだ。この時間軸における僕の体は、昨日の疲れを知らない。睡眠も取れている。健康体だ。でも目の奥だけは、何百回分もの記憶が澱のように溜まって、ひどく重い。


 朝食を食べながら、今日の段取りを考える。

 今日という日には、一つの終点がある。

 夜十一時四十七分。

 幼なじみの桐島芽依(きりしまめい)が、交通事故で死ぬ。

 最初にそれを知ったのは、一回目の「今日」のことだった。あの日、僕は何も知らなかった。彼女から「ちょっと話したいことがある」とメッセージが来ていたのに、返信するのが面倒で後回しにして、翌朝に訃報を受け取った。

 以来ずっと、僕はこの日を繰り返している。

 理由はわからない。気づいたら、この日に戻っていた。

 最初は彼女を助けようと必死になった。事故現場となる交差点に先回りして、彼女を引き止めた。病院に連れて行った。警察に電話した。あらゆる手を尽くした。

 でも、駄目だった。

 一回目——交差点で彼女の腕を掴んだとき、彼女は別の道から帰ろうとして、今度はそこで車に跳ねられた。

 二回目——事故の一時間前から彼女のそばにいて、一歩も離れなかった。それでも、彼女はトイレに立った瞬間に階段から落ちた。

 三回目——彼女を外に出さないために嘘をついた。足を捻挫したと思わせて、部屋に留めた。その夜、彼女の家で火災が起きた。

 何かが、彼女を殺そうとしている。

 そんな馬鹿げた話を、誰に信じてもらえるだろう。


 今日の僕は、何もしないことにした。

 少なくとも、午前中は。

 芽依から「話したいことがある」というメッセージは、今朝の九時に届く。それには「わかった、夜に会おう」と返す。これが一番穏やかな始まり方だと、何度かの試行錯誤で知っている。

 昼過ぎ、僕は職場に顔を出した。デザイン事務所の小さなオフィス。同僚の田端(たばた)が「昨日送ったデータ、確認してもらいましたか」と話しかけてくる。

「ああ、確認した。問題ない」

 実際には確認していない。でもこのやり取りは知っている。田端が送ったデータに問題はない。五回目の今日で確認済みだ。

 田端は「助かります」と言って戻っていった。

 僕は画面を見つめながら、ふと考える。

 もしかして、芽依を助けることが目的じゃないのかもしれない。

 この思考が浮かんだのは、初めてじゃない。でも今日は、その考えをもう少し先まで引き延ばしてみることにした。

 僕が本当に恐れているのは——彼女の死そのものじゃなくて、「返信しなかった自分」のまま生き続けることなんじゃないか。

 喉の奥に、固いものが詰まる感覚がした。


 夕方五時、芽依と待ち合わせた喫茶店に入る。

 彼女は先に来ていた。窓際の席で、カップを両手で包むように持って、外を見ていた。

 こっちに気づいた瞬間、表情が変わった。

 笑顔になった。

 でも、その一瞬前に——ほんの一瞬だけ——何かを、飲み込んだ顔をしていた。僕はもう何十回もこの瞬間を見ているから、わかる。あの顔を、最初の頃は見逃していた。

「遅くなってごめん」

「ううん、私も今来たとこ」

 嘘だ。彼女は三十分前から来ていた。七回目の今日に、たまたま早めに着いて確認した。

 コーヒーを注文して、僕たちはしばらく他愛のない話をした。共通の知人の近況。最近見た映画。仕事のこと。

 会話は弾んでいるように見えた。はた目には、旧友の再会みたいに。

 でも僕は知っている。彼女が本当に話したいことは、こんなことじゃない。

「話したいことって、なんだった?」

 少し間があった。

「あー、うん、大したことじゃないんだけど」

 芽依はカップを置いて、テーブルの木目を指でなぞった。

「悠って、今、仕事楽しい?」

 僕は少し面食らった。何度かの今日でも、こんな入り方はされたことがなかった。

「まあ、楽しくないわけじゃないけど」

「そっか」

 また、間。

「私ね」と彼女は言った。「会社、辞めようと思ってるんだ」

 それは知っている。この後、転職を考えていること、でも親に反対されていること、迷っていることを話す。そして僕は「お前なら大丈夫だよ」と言う。彼女は「そうだよね」と笑う。

 でも今日、僕はその台詞を言いたくなかった。

「なんで辞めたいの」

「え?」

「ちゃんと聞きたい」

 芽依は少し驚いた顔をした。それから、また木目をなぞった。

「……怒られるの、しんどくて」

「上司に?」

「ううん」小さく首を振る。「お父さんに」

 僕は黙った。

 彼女の父親のことは知っている。厳しい人だということは。でも彼女から直接聞いたのは、これが初めてだった。今まで何十回も今日を繰り返して、初めて出てきた言葉だった。

「会社辞めたいって言ったら、三時間、説教された。そんなんで社会やっていけないって。お前は昔から逃げ癖があるって」

 芽依の声は、平坦だった。怒っているわけでも、泣いているわけでもなく、ただ事実を読み上げるみたいに。

 それが、かえって重かった。

「そっか」と僕は言った。

「お父さんの言ってること、間違ってないとも思うんだよね」と芽依は続けた。「逃げてるのかなって、自分でも思うし」

「逃げることの、何が悪いの」

 言った後で、少し後悔した。綺麗事に聞こえたかもしれない、と思った。

 でも芽依は少しだけ顔を上げて、僕を見た。

「悠はさ」

「うん」

「助けてあげたいとか、思う?」

 質問の意味が、一瞬わからなかった。

 助けたい。

 その言葉が、胸の中で反響した。

 僕は今、何十回も彼女を「助けよう」としてきた。事故から。死から。でも——そのとき、僕は何を考えていただろう。彼女のことを考えていたか。罪悪感を消したかっただけじゃないか。返信しなかった自分を、なかったことにしたかっただけじゃないか。

「……思う」と僕は答えた。

 嘘ではない。でも、本当でもないかもしれない。

 芽依は「ありがとう」と言って、また外を見た。


 夜八時、彼女と別れた。

 今日も「また連絡して」と言って、僕たちは別れた。彼女は地下鉄の入口に消えていった。

 あと三時間四十七分。

 今日の僕は、追いかけなかった。

 今まで何度も追いかけた。先回りした。守ろうとした。でも、どれも違った気がしていた。何かが、ずっと違っていた。

 芽依の「助けてあげたいとか、思う?」という言葉が頭から離れなかった。

 彼女は、僕に助けてほしいと言っていたんじゃない。

 たぶん、聞いていたんだ。「あなたは、誰かのために動ける人なの?」と。

 僕は電柱に背中を預けて、夜空を見上げた。

 答えが出なかった。

 この問いに答えが出るまで、僕はこの日を繰り返すのかもしれない。それとも、答えなんて最初からなくて、僕はただ——自分の罪悪感と一緒に、この夜を何千回でも歩き続けるのかもしれない。

 スマートフォンが振動した。

 芽依からのメッセージだった。

 「さっきはありがとう。ちゃんと聞いてくれて、うれしかった」

 僕は画面を見つめたまま、動けなかった。

 返信しよう、と思った。

 でも何を書いても、朝になればリセットされる。

 それでも——今夜の芽依には、今夜届く。

 カーソルが点滅している。僕の指は、まだ動かない。

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